再度書いてみます。貴方の不安は自分自身を知らない処から提起されている問題と言えます。是は仕方ない事です、この事は誰も教えてくれないからです。精神科医でさえも精神疾患がどうして起きるのかと言う事を本当の意味で知っている人はほとんどいないと思います。
貴方の不安は、貴方の働き=仏性からの圧迫です、人によっては罪悪感、どこから来るか分からない処の圧迫感、或いは漠然とした不安、その不安にかかわっている事で極端にいえば気が狂うのではないかと思うほどの恐怖感等を感じていると思います。
誰の心も同じ構造になっています、人間の悩みや苦しみや精神疾患と言うものは、その中にいる時は出口のないトンネルに入ったような気がして、抜け出し難くなっています。それは肯� �と否定の争いで常に否定=自我意識が勝っているためです。
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処が人間の正常な生活を支えるという事は仏性の助けが無いと出来難いと言えます。自我意識だけで眠ろうとする場合が不眠症と言う事になります。自我意識だけで人に対処しようとする事が対人l恐怖と言う事です。自我意識だけで自分の気分をコントトールしようとする事が各種の精神疾患を生み出しています。自我意識だけで体の調子を整えようとする事が自律神経失調症と言う事になります。
この事から抜け出すのに日本には良いものが有ります。一つは森田療法と言うものです、是は神経症と言うものと軽いうつ状態に適応出来るものです、森田療法の学び方が有ります。それは神経症全般について学ぶと言う事が肝心です。貴方の症状だけではなしに� �人間はどうしてこうなってしまうのか?と言う事を考えると言う事です。自分の症状を無くしたいという観点から森田療法に取り組むとしたら、神経症は尚更悪くなるかも知れません。
それからさらに突っ込んで精神疾患の完治を求めるなら「禅」というものに取り組むと良いと思います、お釈迦様の教えは「一切皆苦」という状態からの脱出方法と言えるからです。今の貴方は「一切皆苦」という状態になっていると思います。その事から抜け出す方法が「禅」の中に在るからです。
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この事を詳しく書いているととても時間が足りなくなってしまいますので、要点だけを書いておきます、実際に貴方が自分で学んでください。
禅は不安になり易い先達がその不安を安心に替えてきたという歴史が有ります。人間の最大の問題は「生死の問題」と言えます。その問題の解決が禅の中に在ります。精神疾患の原因も多かれ少なかれ「生死の問題」と切り離してはは考えられない一面が有ります。或いは人生が何か・自分は何者かという疑問です。この事から精神疾患が説明し難くくなっているという面があると言えます。
貴方の症状の治し方を書いてみます、貴方に顕れている症状は自分自身が起こしています、貴方が意識をして仏性の� ��きを無視している処から貴方に送っている信号です。貴方が困っているのを助けよう、或いは助けたいというサインです。貴方はその症状を嫌っています、症状を無くしたい、或いは治したいと考えています。是は誤りと言えます。
症状を無くしたい、治したいという「心の働きが」その症状を作っています。その事で返って症状を重くしています、そうして自我意識に固定させています。本当の完治を望むなら、もう症状は相手にしない事です。症状を無くしたいという貴方の心の働きが症状を生み出している原動力になっている事を、しっかり肝に銘じて下さい。
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そうして今後症状の事を口にもしない、書きものにもしないという事が完治の第一条件になります。症状を完全に消滅させるためには症状を相手にしても何にもなりません、返って症状を重くしてしまいます。是は心の矛盾です、症状を無くしたいという心が症状を作っています。
そして森田療法、中でも鈴木知順先生の書いたものが良いと思いますが、学ぶ事です。どうして神経症が起きるのかという事をです。
そうして禅も学ぶのです。参考になるものは鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。博士は25歳で見性しています、つまり悟りを開いているという事です。自分の仏性と出会うという体験の事です。その事から、書いたもの� ��も、適切な助言や、アドバイスが込められていると思うからです。
貴方の場合にも自分自身を知ることが出来たなら、精神疾患の完治という事になります。お釈迦様の教え或いは禅というものは自分自身の不安を起こしているものを直接掴め、という事です。是は宗教では有りません。人間の不安や恐怖に対する究極的な精神療法と言えます。
禅問答が解けた時には生死の問題さえも「意識には上がってきません」是は生きて行く時には安楽に生きて行けるという事を意味しています。心が二度と言い争いをしなくなるという事です。二つになった心が又一つになるという意味です。
もっと言うなら、矛盾していた二つの心の、矛盾が解消したという事になります。心に子供の時のような平和が戻ってきたという事です。キリスト教的に言うなら、天国に一番近い存在という幼子に近ずいたという事です。「神に会って罪が許されたという事になります」
辛い気持が続くかも知れませんが、症状を何とかしたいという取り組みでは、この問題は解消しません。今言った二人のおかげで、今は安楽に暮らせるようになった者で� �。
投稿日時 - 2009-03-01 22:03:24
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